5447732257_d05d009d2b_b
Pocket

「秋野君、次のプレゼンも君に頼むよ」

そう言って目の前に資料を山積みにし、
去っていくのは私が所属している営業部の部長。

 

秋野由美。
年は、もうすぐ30代の折り返しを迎える。

仕事一筋で完璧主義な私は、
今夜寝ずにこの大量の資料を読み解き、
そして、まとめるのだろう。

 

やれて当たり前だと思われている重圧が苦しい時もあるけれど、
他の人間では私のようには出来ないだろうという自負もある。

 

「早く潜りたいな……」

 

大きな仕事の後には有給をしっかり取り、
海のきれいな暖かい島でダイビングをするのが、
唯一の趣味な私。

 

いわゆる地形派と呼ばれるタイプで、
海の中で自然に出来た鍾乳洞や穴の中に飛び込み、

その風景を眺めたり、
時にはダイナミックに探検をする。
そこでしか出会えない生き物もとても魅力だ。
 

大海原に身体を預けることで、
自分も魚になったような、そんな気になれる。

 

その一方で、
海に触れるたび、

 

今の自分の生き方が、

 

これでいいのか、

このままでいいのか、

 
と、悩んでしまう。
 

どこへ向かえばいいのか?

 

仕事が好きか?


と聞かれたなら迷わず、「はい」と答えるだろう。

けれど、


今の仕事が好きか?


と聞かれると、途端に自信は失われる。

 

ここには、私を必要としてくれる人間がいるだけで、
それも見られているのは、仕事の能力だけ。

 

つまり、
私以上に仕事が出来る社員が育てば立場はなくなるし、
このまま年を重ねていけば、それはそう遠くない未来かもしれない。

 

 

3週間後。

 

私は、お気に入りの海にいた。

今回のプレゼンも結果は上々。
臨時ボーナスを貰ってもいいくらいだ。

誰でも名前を知っているような大手企業だから
年収も同世代と比較してかなり多い方だろう。

 

けれど、
貯蓄が増えたところで、何になるの?

いつからか、そんな疑問が時折頭に浮かぶ。
 

こうして毎日自然と触れ合える方が好きな自分と、
都会の高層ビルでバリバリ働く自分が矛盾していて可笑しい。

 

「こんにちは」

 

宿泊先からタクシーに乗り、
いつもガイドをお願いしているダイビングショップへと向かうと、
そこには見知らぬ顔があった。

 

「予約の秋野さんっすね。
 新しく入ったガイドの森です。よろしくー」

 

明らかに年下の男に、
軽い口調で話しかけられ、私は一瞬たじろぐ。

 

「あの……いつもの方は?」

 

「辞めました」

 

「そう…、ですか…」

 

前のガイドさんを気に入っていただけに
とても残念な気持ちでいっぱいになり、
それが顔に出ていたんだろう。

 

「俺だって、一応ガイドなんですけど」

 

と目の前の彼は頭をかいたけれど、
紳士的だった前の担当者とは全然違う雰囲気。

 

好きになれそうにもなくて、もやもやとしてしまう。
そんな気持ちは奥底にしまおうとしても、
なかなかうまくいかない。

 

初めての場所では、
初対面のガイドダイバーに案内してもらうことは

当たり前のことだけど、

思っていた通り、

彼の軽いノリと、
海の神秘な景色は、いまひとつかみ合わず、
残念な気持ちで、私は海からあがった。

 

いつもの仕事のくせで、
つい頭の中に海の風景を並べてみる。

 

私だったらもっとこう案内をして、
それから最後にあの風景を絶対に見せたくて……
どの海でのプランも自分なら完璧に組むことができる。

 

それなら一人で潜れば良いのかもしれないけれど、
必要な機材を個人で用意するのは難しく、
やはり誰かの力を借りる必要があるだろう。

 

それに、こうした場所で初めて会った人と
同じ感動を共有できるのも、ダイビングの醍醐味である。

 

「一人でぶつぶつ言ってどうしたの?」

 

と、
先ほどの森君というガイドが話しかけてきた。

 

「えーっとね、さっきのガイドなんだけど、
海中散歩を一番にして、次に洞窟、
最後に海面から見える光のショーを持ってきた方が盛り上がるかなって思って」

 

今日のガイドは、最初にメインを持ってこられたおかげで、
わくわくした気持ちが減ってしまっていたのだ。

 

それを正直に打ち明けると、

 

「すごいっすね。他の海でもそんなこと考えてるんですか?」

 

「ここだけでも、10以上のプランが浮かぶけど」

 

こんなことで驚かれると、
逆にこそばゆい。

 

「だったら秋野さんが、ガイドやったらいいのに」

 

「私?」

 

「だって、秋野さんのプラン楽しそうじゃん?」

 

「…………」

 

予想もしていなかった言葉だけれど、
そう言われるとガイドとして自分が海に潜ったとしたら…
もっとあれをこうして、とか案がいくらでも浮かんでくる。

 

「ガイドになるのって難しいんでしょ。
それに私は、仕事が忙しいから」

 

「俺がなれるくらいだから秋野さんなら余裕だって。
そんなに好きなら本職にしちゃえばいいと思うんだけどな」

 

私のキャリアを知らないとはいえ、
実にあっさりと言ってくれる。

 

けれど、
そのあっさりさで、気持ちがどこか軽くなった。

 

好きな場所で、好きなことをして暮らす。

 

ずっと諦めていたけれど、
やってはダメだ、
なんて誰も言っていなかった事に初めて気がついた。

 

ガイドダイバーになるためには、
潜水士の資格が必要となる。

まずは、それだけでもチャレンジしてみようか。

 

ガイドは素晴らしい景色を見せるだけでなく、
なにより人の命を預かるという責任の重い仕事だ。

 

景色のいい場所ほど、リスクは高くなる。
それを案内したいと考えるなら、
何より知識が必要……なんて、
そんな風に考えだしたら、会社へ戻ることが嫌になる。

 

最初は不安を感じた森君だったけれど、
彼のおかげで、こんな気持ちになれたのだから
やはり海での出会いは特別だ。

 

潜水士免許の取得では、
潜水に関してのあらゆることを学ぶ必要がある。

その勉強をしている時間は
仕事の時間よりも楽しく、あっという間に夜が更ける。

そして、
潜水士免許を手にしたとき、私の心はもう決まっていた。

好きなことをして暮らしていこう、と。

 

 

「うちのガイドさんは凄いですよ〜。
海の状態を見て、その日にあった最高のプレゼンテーションをするんですから」

 

森君の調子のいい声に、ダイビング客から笑みが漏れる。
そして、私のことを期待に満ちた目でじっと見つめる。

 

あれから1年。
私は、この海のガイドダイバーとなった。
愛想がそんなにいい方ではない私にとって、
彼は良きパートナーだ。

 

少し遠くで、海の工事をしている人影が見える。
若い男の子が楽しそうに作業をしているのが印象的だ。
 

彼らもまた、潜水士免許を持ち、
作業をしているのだと森君から教えられ、
これまでは縁のなかった彼らにも親近感を持つ。

 

海の安全を守ってくれている尊い仕事。
彼らのような人間のおかげで、今日も安心して海へと潜ることができる。

 
「でも、本当に会社辞めちゃって良かったの?」

 

後から私のキャリアを聞いた森君が突然聞いてきた。

 

「すごい給料貰ってたんだろうな〜」

 

羨ましそうな森君に
私はそっと笑いかける。

 

「お金より大切なものがここにはあるよ。
それは、君が教えてくれた」

 

立ち上がりながらそう答えると、
そんな私へ拍手を送ってくれているかのようにキラキラと波が光った。

 

「お金より大切……確かに」

 

頷いた森君と一緒に、
私は今日もこの海で、自然とともに生きている。

 

5447732257_d05d009d2b_b

【END】

Pocket

港湾潜水技士 松山だいすけ

港湾潜水技士 松山だいすけ港湾潜水技士

投稿者プロフィール

1980年東京都稲城市生まれ。元動物看護士。
現役の港湾潜水技士であり、実業家。
『潜水士試験合格アドバイザー』
昨年12月に、横浜にてセミナー講演を行う。
■□■□■
 いつでもどこでも気軽に学べ、現役のプロダイバーが伝える、
どこよりもわかりやすいオリジナル『潜水士試験』教材を開発する。
 潜水士、インストラクターを目指す人に教えている。
資格取得後も、人材派遣の紹介で潜水士に限らず、他業種の仕事をあっせんをする等、幅広く活躍中。
 ダイバー関連雑誌取材紹介あり、ラジオ番組出演等あり。

この著者の最新の記事

関連記事

コメント

    • アリマ次郎
    • 2015年 5月 15日

    好きなものを仕事にする。それができなくても、やりがいを見つけることの大切さ。やっぱり、本当に大切なことってモノとかお金じゃなくて自分の心の中にあるんですね!
    主人公の葛藤がビシビシと伝わってきました!
    行動を起こすには何かを捨てなくてはいけないけれど、その先に手にしたものはきっと素晴らしいものだと私は思います。
    素敵なストーリーですね!

  1. この記事へのトラックバックはありません。

【潜水士試験】本気で合格を目指す教材

潜水士試験

【メルマガ】

メルマガ
ページ上部へ戻る